2000年代のはじめ、橋本さんはイワタでいくつかの筆書系書体の原字制作を手がけた。
まず、2003年5月に手がけたのがアンチック体だ。アンチック体は、ゴシック系の漢字に合わせる太仮名書体で、漫画のふきだしや辞書の見出しに使われてきた。明朝体風の仮名だが、縦横の太みの差が明朝体に比べると少ないのが特徴といわれる。イワタのアンチック体は仮名だけの書体でなく、太ゴシック体の漢字と合わせ一つの書体として開発されている(発表されているウエイトはBのみ)。もともとは「漫画に使いたい」というクライアントからの注文を受けて制作された。
「仮名に関してはぼくが新しく描きおろしました。コンセプトは『普通の筆書きの仮名』です。それぞれの仮名のもつ固有の形をなるべく採用し、あえてそろえない『書き文字』の仮名に、筆書き風の少し柔らかい雰囲気をもたせました」
次に手がけたのは宋朝体だ。もともと岩田母型製造所が持っていた金属活字「方宋体」の復刻である(制作期間は2002年5月から2004年4月)。宋朝体は、シャープな画線や鋭い点画が特徴の伝統書体だ。縦長の長宋体と正方の方宋体があるが、イワタ宋朝体は岩田母型の方宋体活字をもとに、字体をJISに準拠してデジタル化した書体である。
まず、金属活字をきれいに印刷して印画紙に焼き付けた宋朝体10文字の「清刷り」をスキャンして、山形事業部がIKARUS(フォント制作システム)でデータ化。その10文字をベースに、橋本さんが原字を描いた。それをもとに文字のパーツをイメージ表にまとめ、そのパーツを用いて、山形事業部のオペレーターが基本の500字を作成。ここで書体のイメージ、線幅などがかたまると、一気に文字を増やしていった。活字時代は1書体4000~5000字のみだったため、デジタルフォント化にあたり足りない漢字約4000字は新たにつくらなくてはならなかった。
漢字の作成にあたっては、横線の右上がりと、文字の安定のばらつきをただし、違和感をなくしたという。
「金属活字の宋朝体は、1字1字をかっこよくしようとつくられた文字のため、文字ごとのばらつきが大きかったんです。右上がりが基本なのですが、たとえば『山』と『国』では上がり方が全然違うということも多かった。もともと、名刺によく使われる書体だったんですね。書籍と違って、名刺の組版では、文字は長文を組みませんし、姓と名は離して組まれる。だから1字1字のかっこがよければ、多少のばらつきがあってもよかったのです。かえって、姓名としての動感が生まれたのでしょう」
しかしデジタルフォント化するにあたっては、漢字のばらつきを少なくして文章も組めるよう、修整がほどこされた。
復刻版の宋朝体は、仮名が非常に個性的なデザインだ。
「それがいいという人もいましたが、個性的すぎて使いづらいという声もありました。極端に個性的な仮名だけでは用途が狭まると思い、もう少し現代風にアレンジした、平易な仮名もつくることにした。それが『新がな』です。新がなを組み合わせると、漢字も現代風に見えるのが不思議ですね」
新がなは2006年6月に制作。現在は、「イワタ宋朝体」「イワタ宋朝体新がな」の2書体がラインナップされている。
2003年3月には、弘道軒清朝体(せいちょうたい)の復刻版が制作された。これも金属活字の復刻書体だが、そのおおもとは明治時代にまでさかのぼる。
弘道軒清朝体は、神崎正誼が明治7年(1874)に創立した「弘道軒」という活版製造所が明治9年(1876)に販売開始した、楷書体の活字だ。明治14年(1881)から約10年間、東京日日新聞の本文用書体に用いられたのをはじめ、明治10年代半ばから20年代にかけて、よく使用された書体だ。その母型は、日本では当時ほとんど使用されていなかったパンチ母型(打ち込み型母型)を用いており、種字(父型)は鋼鉄の印材に原寸で直彫りされた。 (*1)
イワタからデジタルフォントとして復刻されたのは、四号清朝体だ。活字を忠実に再現した「復刻版」、古風なイメージを残しつつもJIS字体にほぼ準拠し、仮名を10%大きくした「現代版」の2書体が同梱セットとなっている。
「弘道軒清朝体も印画紙に焼きつけた清刷りをもとに、原字を制作しました。元岩田母型製造所の社長をつとめられていた高内一さんがお持ちだった父型や母型、活字などの資料からつくったんです。美しい活字なのですが、現代の感覚から見ると、仮名がかなり小さかった。文章などを組むには仮名がもう少し大きいほうがよいのではないかということで、10%大きくした『現代版』もつくりました。現代版では字形も現代風にしているので、ベースになる文字がなくて、かなり作字をしました。もともとの金属活字は2000~3000字ぐらいしかなかったのではないでしょうか」
宋朝体や弘道軒清朝体のように、もともと金属活字があるものの復刻というのは、ベースとなる文字があるのでそれほど難しくないのではないか。ふつうに考えるとそのようにも思ってしまうが、実際のところはどうなのだろうか。
「復刻書体をつくるときに『もと』の文字があるといいますが、『もと』として何があるのかというのが、まず大きな問題なんです。イワタ明朝体オールドの場合は、ベントン彫刻機用のパターンをつくるために、紙に製図した『原字』がありました。これをベースにしている。ところが宋朝体や弘道軒清朝体は、金属活字を紙に活版印刷した印刷物を印画紙に焼き付けた『清刷り』が『もと』になっています。印刷物としては細心の注意を払い、美しく刷られたものではありますが、凸型の活字にインキをつけて紙に押し付けることによって印字されるのが活版印刷です。その構造上、印刷されたものにはインキがはみだして濃くなった輪郭線=マージナルゾーンが生じ、文字が太るのは避けられません」
「マージナルゾーンの生じ方はその時によって異なりますし、若干のにじみも出るでしょう。この清刷りをスキャンしてトレースする際、フォントのアウトラインとしてどこをとるのかが難しい。マージナルゾーンの外側ではないでしょうし、活字の端がどこなのかは清刷りではわかりません。かといって、金属活字そのものをそのままなぞってトレースすることができるわけでもない。印刷によって太った部分、シャープさが失われた部分を考慮しながらアウトラインを引いていかないと、ぼやけた書体になってしまう」
活版印刷の特性をふまえた修整が、デジタルフォント化の作業において必要になるのだ。修整によっては別の書体になってしまう可能性もある。
「結局最後は、『書体に対する評価力をもっているか』がカギとなります。完成したものの品質を適正に評価できる力、見る力があるのか。これがないと、もとがどんなによい活字書体だったとしても、中途半端な品質になってしまうのです」
かつて金属活字書体をデザインする際は、印刷で文字が太ることを見越し、文字はシャープにつくられていた。活版印刷という表現技術と、それによる変形――最終的に読者の目にふれるときの状態を見越して、書体がデザインされていた。デジタルフォントにおいても、同じ配慮が必要なのだ。
フォントが印刷や画面表示を経て読者の目にふれるものである以上、書体の復刻では、表現技術によって生じたある種の「変形」の特徴をふまえる(ときには想像する)ことが必要だ。しかも、それをふまえたうえで、いま求められる形がどのようなものなのか……、たとえば「イワタ明朝体オールド」を制作した際に、活字の原字をそのままデジタルフォントにしたのでは線が細すぎて横線が飛んでしまうため、横線を太くする修整が施されたというように、書体の雰囲気を保ったまま、いま求められるデザインに修整することが大切なのだ。
(つづく)
*1:女子美術大学所蔵 弘道軒清朝体活字関連資料デジタル・アーカイブ “弘道軒清朝体活字”について
橋本和夫(はしもと・かずお)書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。
雪 朱里(ゆき・あかり)ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。
■本連載は隔週掲載です。次回は6月16日AM10時に掲載予定です。