前例のないプロジェクト、その裏側を徹底取材!
デジタル制作された劇場アニメ『映画大好きポンポさん』(公開中)を、ファンらの応援購入によってあえて35mmフィルム化するという、映画ファンのみならず興味を惹くニュースが各メディアを駆け巡ったのは、今年7月末のことだった。その後、プロジェクトはまたたく間に目標額を達成。35mmフィルムが制作され、10月には支援者にお披露目された。【写真を見る】驚きの変化も!『映画大好きポンポさん』フィルム化が目指したものとは今月3日にはBlu-ray豪華版・通常版が発売。17日(金)、18日(土)には池袋・新文芸坐にて本プロジェクトで制作された35mmフィルムの上映も予定され、さらには第94回アカデミー賞長編アニメ映画部門へのエントリーが発表になるなど、まだまだファン層を拡大し続けている本作。これに合わせ、コミカライズ版も話題となっている「ぼくたちの離婚」や、「『こち亀』社会論」などの著書で知られる編集者・ライターの稲田豊史が35mmフィルム化の関係者らに取材を敢行。前例のないプロジェクトの裏側に迫った、長編ルポルタージュをお届けする。■フィルム化は単なるノスタルジー?「ものを作ることの喜びを描いた作品」。『映画大好きポンポさん』を一言で説明するなら、そうなるだろう。映画の製作アシスタントであるジーン君が突如監督に指名され、悪戦苦闘のなかで1本の映画を完成させる物語。あらん限りの映画愛が詰め込まれた本作は、2021年6月4日に公開されるや、またたく間に熱狂的なファンを生みだしていった。激賞と歓喜の声、創作活動への敬意表明。そんな高い熱量を目の当たりにした製作陣は7月27日、驚きのプロジェクトをスタートさせる。応援購入サービスを用いた、『ポンポさん』本編のフィルム化だ。同作に限らず、昨今のアニメーション作品、否、ほぼすべての映画作品は、デジタルデータの状態が“完成形”だ。DCP(デジタル・シネマ・パッケージ)という上映用データファイルの状態でハードディスクに格納され、それが劇場のプロジェクタでスクリーンに映写されている。しかし本来の映画というのものを辞書的に説明するなら、「高速度で連続的に撮影した静止画像を映写機でスクリーンに投影し、動画として鑑賞するもの」だ。この「高速度で連続的に撮影した静止画像」がプリントされている記録媒体が、フィルムである。かつて、すべての映画はフィルムで上映されていた。一般的なフィルムは、幅の寸法を冠した35mmフィルム。24枚の静止画が1秒に相当する。『ポンポさん』の劇中では、ポンポさんの祖父ペーターゼンが、フィルムを物理的に切り貼りする編集作業を行っていた。ただ、映画のフィルム上映は2000年代後半から徐々に減少し、2010年代前半にはほとんど姿を消してDCPに置き換わっていった。撮影やVFXエフェクトをはじめとした映像制作のデジタル化が進んだため、出来上がった動画データをわざわざフィルムに“変換”するよりも、デジタルデータの状態でファイル化したほうが、手間もコスト(フィルムへのプリント費用)もかからないからだ。しかもフィルムの場合、ハードディスクに比べてかさばるため、運ぶのも保管するのも大変だ。ゆえにDCPへの移行は必然だった。それゆえ、本企画が発表された際、筆者を含む一部の人々はある疑問を抱いた。デジタルデータの状態で完成しているものをアナログメディアであるフィルムにしたところで、高画質化・高音質化するわけではない。むしろデータ量は“減る”、つまり“劣化”するだけではないか?しかもフィルム上映設備のある映画館は少ない。この企画は、かつての映画業界を懐かしむ年長者たちによる単なるノスタルジー、言葉を選ばず言うなら自己満足なのではないか?しかし結論から言えば、そのような見立ては完全に間違っていた。■鑑賞後の“余白”を埋める、追体験と啓蒙『ポンポさん』の制作プロデューサーにして、本作制作会社CLAP代表の松尾亮一郎は、「本作を応援してくださる人たちが喜んでくれて、なおかつ一緒になって作れるもの」を考えた結果、フィルム化を思いついた。その目的は「追体験」と「啓蒙」だという。「出来上がったフィルムをみんなで観て終わり、ではないんです。フィルムで“その色”を再現するために、どれだけの人のどれだけの技術が費やされ、現場でどのような“戦い”があるのか。その過程をプロジェクトを支援する参加者に体験してもらいたかった。消えゆく技術の文化継承、というと大袈裟かもしれませんが」と松尾。プロジェクトのリターンにはフィルム版『ポンポさん』の鑑賞権だけでなく、フィルム制作レポートの送付、フィルム化担当者によるトークショーへの参加権・配信閲覧権が設定された。文字通りフィルム制作を追体験し、学べるのだ。松尾は、かつて制作プロデューサーを務めた『この世界の片隅に』(16)でプロジェクトを大成功させた“アタラシイものや体験の応援購入サイト”「Makuake(マクアケ)」の代表取締役社長・中山亮太郎に相談をもちかける。その中山は、なんと『ポンポさん』本編を観る前にGOを出した。中山は言う。「理由は、プロデューサーが松尾さんだから。松尾さんが絡む作品はとにかくいいものになる。『BLACK LAGOON』も『この世界の片隅に』も大好きでした。その松尾さんが会社(CLAP)を立ち上げて作った劇場用長編。気合いが入ったとんでもない作品であることは間違いない」。その後、試写室で本編を観た中山は、「観た人全員が関わりたくなる映画。関わる余白が欲しくなる作品」だと感じた。その余白を「フィルム化の追体験」という形で用意した松尾に、改めて感心したそうだ。ただ、作品公開後のプロジェクト実施にはリスクもある。公開前ならば“期待感”と“煽り”で目標金額を達成することもまた可能だが、完成後はハッタリもごまかしも効かない。観客の評判が悪ければ、プロジェクトは盛り上がらないだろう。その点はもちろん中山も承知している。「完成後はアンコントローラブルなこともある。だけど、本編を観て絶対にうまくいくと確信しました。こねくり回して変なテクニックを使う必要はない。魅力を素直に伝えていけばそれでいいのだと」。中山は「クラウドファンディング」という言葉を使わない。「これはエンタテインメントの応援購入プロジェクト。お金を出すことで関われる。その関わる場所をプレゼントするという行為。これは、あらゆる作品がやったほうがいいと思います」。中山は『天空の城ラピュタ』テレビ放映時の「バルス」現象にたとえた。クライマックス、パズーとシータが崩壊の呪文「バルス」を唱えるシーンに合わせて、視聴者が一斉に「バルス!」とリアルタイムツイートする。それによって作品に“関われる”のだ。■フィルムで「絵が立体的で優しくなる」理由フィルム化にはふたつの会社が関わっている。IMAGICAエンタテインメントメディアサービス(Imagica EMS)と東京現像所だ。いずれも、フィルム現像を含む映像作品のポストプロダクション(撮影後の作業)を行う会社で、長きにわたり日本映画界を支えてきた老舗。今回は、Imagica EMSがネガフィルム(画〈え〉ネガ)を、東京現像所がサウンドネガ(音ネガ)の制作を担当した。ネガフィルムとサウンドネガは別々に作られ、それを1つの上映用プリントに焼くことで完成する。ちなみにネガ(陰画)とは、実際の被写体と明暗が逆になった画像のこと。一方、上映用プリントには実際の被写体どおりの明暗で画像が映っている。つまりポジ(陽画)なので、ポジプリントとも呼ばれる。ところで、そもそもDCPのデジタル映像とフィルムの映像では、目に見える画質のうえで一体どのような違いがあるのだろうか。Imagica EMSの技術者であり、『ポンポさん』フィルム化のクオリティコントロールを統括した石田記理(Imagica EMS プロダクション営業部 チーフテクニカルディレクター)によれば、「フィルムはデジタルに比べて立体的で絵が優しい」。これには2つの理由がある。まず、フィルムには、上から順に「青の光」「緑の光」「赤の光」に感じる(感光する)3つの薬品が重ねて塗られていて、それぞれで形成した像の重ね合わせによってネガ画像が作られる。キャンバスの厚塗り絵の具と同様、フィルムという平面に対して立体的に画を作り上げているゆえ立体的に見える、という理屈だ。もう一つの理由は、フィルムが粒子(グレイン)によって描画されているから。デジタル映像は同じ大きさの点(ピクセル)の集合によって絵を表現するが、フィルムの場合、光の強弱により、粒子の形成されかたが変わることで表現される。大きさの異なる点の集合による描画であり、ピクセルのように「ある/ない」の二択ではない。石田の言葉を借りるなら、それは「限りなく曖昧」であり、結果「絵が優しくなる」のだ。巷ではよく、フィルムはデジタルの情報量に換算するとどれくらいか?という議論が起こる。ピクセル数を表すK(1000)に換算し、8Kという説、10Kという説、さまざまだ。しかし石田に言わせれば、その換算に意味はない。「フィルムをデジタルに置き換えるというのは、『何ミクロン単位で拾うか』というだけの話。6Kなら6Kで見えてくるものがあるし、12Kなら12Kで見えてくるものがある。それがずっと続いている。その意味でフィルムはレゾリューションフリー、解像度自由なんです」。■フィルムとデジタルに優劣はないしかし、こんな疑問も湧く。もともと「絵」であるアニメーションは、むしろデジタルでパキッと塗り分けたほうが、メリハリがついて“映(ば)える”のではないか?しかし、平尾隆之監督はじめ『ポンポさん』スタッフは、フィルム版を観て「トレス線などの表現が全体に丸みを帯びた」「カメラで実景を撮ったような立体感が出た」「マルチボケ(手前にあるものをピンボケさせること)がうまくいっている」と歓喜した。石田はそれを「デジタルではピタっと見えていたものに質感と空気感が入り、作品の世界に広がりが出た」と形容する。ただ注意したいのは、ここでは決してフィルムとデジタルの「優劣」を論じているわけではないということだ。Imagica EMSの長澤和典(プロダクション営業部・課長)の言葉は示唆に富む。「もしデジタルで完成した状態が『正解』だとはっきりしているなら、フィルム化によって『正解』からは離れていく。必ずニュアンスの違うものが出来上がる」。はたして「見え方の正解」とはなにか。哲学的な命題だ。しかし少なくとも、『ポンポさん』製作陣はその「ニュアンスの違ったもの」を、喜びと称賛をもって受け入れた。松尾はフィルム版について、こんな感想を抱いた。「制作時に想定していなかった自然な風合いになった。デジタルだと光がバキバキに出てしまうところ、それが抑えられたうえで、光が浮き上がって見える。同じ作品なのに、別のものを観ているようでした」。繰り返すが、フィルムとデジタルの優劣を論じることに意味はない。一つ言えるのは、「デジタルは自分で作ったもの以上にはなりづらいが、それをフィルム化すると、製作者すら想定外の“なにか”が立ち現れる」という点だろうか。さらに、石田はデジタルとフィルムの表現特性の違いが、フィルム化の難しさそのものであるという。「ごく簡単に言うと、デジタルで作ってモニタに表示される絵は発光体なので、明るい部分の表現が得意。一方のフィルムは暗い部分の表現が得意。表現特性がまったく異なります」。フィルムに置き換えてもなお、モニタ画面で見た時の印象に近づけなければならない。例えて言うなら、水彩絵具で描かれた絵と同じ印象の絵を「色鉛筆で描く」ようなもの。至難の業だが、その難題を実現したのが、Imagica EMSが長年にわたって蓄積したノウハウと高い技術というわけだ。これはカラーマネジメントと呼ばれる。石田は「モニタ環境で作ったものをスクリーンに持っていくなど、デバイスを超えて近づける技術は、Imagica EMSの得意分野」と胸を張る。■サウンドネガの在庫危機フィルムに絵がプリントされているのは目視でわかるとして、音はどのように記録されているのかと言えば、「光学録音」という方式で収録されている。上映用プリントをよく見ると、パーフォレーション(フィルムの縁に開けられている送り穴)周辺に模様のようなものが確認できるが、映写機のサウンドヘッドがこれに光線を当てて読み取り、その信号が音に変換される仕組みだ。1本のフィルムには複数の音声方式が同時に記録されているため、このスペースは常に「場所の取り合い」状態である。その上映用プリントを作る前段階としてサウンドネガを作るわけだが、実は現在、国内でサウンドネガ制作を通常業務としている会社は1社もない。Imagica EMSも同様。最後まで制作していたのは東映ラボ・テックだが、今年になって作業を終了して途絶えた。しかし松尾は、東京現像所がテスト的にサウンドネガ制作を行っていることを聞きつける。2021年に公開が決まっていた日本映画作品でサウンドネガを制作していたのだ。松尾の電話を受けたのが、東京現像所・営業企画室の濵野もも。問合せがあった当時はまだテスト段階ではあったものの、社内にサウンドネガを作る体制は整えられる。ただ問題があった。サウンドネガの生産が世界的に縮小しているのだ。つまり、技術者はいてもモノがない。濵野は振り返る。「サウンドネガはアメリカのコダック社から取り寄せるのですが、同社が1回のロットで製造する量は決まっています。しかも、そのロットが完全になくなってからしか、次のロットは製造しない。松尾さんから連絡を受けて問い合わせたところ、現状の在庫がかなり少なくなっており、いますぐ発注してもらわないと次はいつ製造するかわからないと言われました。とは言え、プロジェクトが目標達成してからでないと発注はできません」。やきもきしながら推移を見守り、達成と同時に即発注。なんとか間に合った。■意外な難所「ロール分け」サウンドネガを作成する工程において、東京現像所が次に直面した難問が「ロール分け」だ。上映用プリントフィルムは、長いフィルムが巻かれた状態で1巻(1ロール)だが、最長でも20分程度しかない。つまり1本の映画は数本のロールで構成されているため、上映中にそれらを素早く交換する必要がある。フィルム上映の映画を観ていると、時おり画面右上に小さな黒丸(パンチマーク)が表示されるが、これはフィルム交換(ロールチェンジ)のタイミングを映写技師に知らせるもの。つまり、フィルム上映の映画は上映中に数回は“途切れている”。画だけなら、フィルム交換はカットのつなぎ目でやればほとんど気にならない。しかし、カットのつなぎ目をまたいで音が鳴り続けていれば、その途切れはものすごく気になってしまう。つまり、フィルム交換タイミングは「無音」のシーンであることが望ましい。ところが…。「『ポンポさん』はかなり音を重ねた作りなので、切れ目がないんです。セリフのない箇所であっても、なんらかの音が鳴り続けているシーンが多い。どこでロールを分けるかがとても難しかったと思います。最終的にはミキサーを担当されたスタジオマウスの担当の方が見事に分けてくれました」と濵野。フィルム上映が前提だった時代は、制作の段階で“ロール分けを意識した編集”を施すのが常だったが、『ポンポさん』を含めDCP上映を前提としている昨今の作品に、そのような発想はない。デジタルプロセスしか知らない製作者にとっては、想像もつかない配慮が必要だったのだ。そうして出来上がったサウンドネガには、5.1チャンネルのドルビーデジタルと4チャンネルのドルビーステレオSR、2方式の音声が収録された。通常はデジタルで再生され、アナログのSRはトラブルがあった場合のバックアップ用である。この出来栄えに濵野は驚愕したという。「デジタルは普段から聴き慣れていましたが、SRを聴いた時の再現度がすごかったんです。デジタルより落ちるはずなのに、あまりに良くて。だから映写技師に確認したんですよ。『間違えてデジタルかけてないですか?』って(笑)。それくらい凄まじい技術でした」。■プリントでしか観られない作品は多い東京都立川市の映画館「シネマシティ」では、『ポンポさん』公開翌月の2021年7月、「ポンポさんプロデュース企画」と称して『セッション』と『タクシードライバー』の極上音響上映を行った。原作コミックでポンポさんとジーン君が「好きな映画」として挙げている2作である。このように『ポンポさん』と縁深い同館は、35mmプリント(フィルム)上映を定期的に行っている館としても知られている。実は『タクシードライバー』もフィルム上映だった。35mmプリントで上映するには、当然ながらフィルム映写機が必要だ。ただ、維持やメンテナンスには手間がかかるうえ、扱える映写技師も常駐させておかなければならない。端的に言って、DCPに特化したほうがコストがかからないのだ。にもかかわらず、なぜシネマシティはフィルム上映設備を整えておくのか。同館の椿原敦一郎(番組編成部・部長)によれば、「35mmプリントでしか観られない作品が、日本映画にはまだたくさんあるから」だという。古い映画を単に「観る」だけなら、DVDやBlu-ray Disc、あるいは配信などを利用すればいい。また、プリントが現存しない場合でも、Blu-ray Discに収録された本編をプロジェクタでスクリーンに映して興業できる場合もある。しかし、配給会社がフィルム上映しか認めていない作品は、プリントが現存していない限りスクリーンで観ることはできない。先述したように、フィルム上映が可能な劇場は国内で減る一方だが、東京は比較的残っている稀有な場所だと椿原は言う。実際、阿佐ヶ谷「ラピュタ阿佐ヶ谷」、池袋「新文芸坐」、「神保町シアター」など、定期的にフィルム上映で興業を行っている館がいくつもある。『ポンポさん』の35mmフィルム上映は、12月17日(金)の新文芸坐でのレイトショー、18日(土)のオールナイト上映を手始めに、2022年にはシネマシティほかで順次公開を予定している。ただ、椿原はフィルムとDCPで画質がどう違うといった話は好まない。観比べてどうのといった能書きを垂れることに、あまり意味を見出さないのだ。代わりに、以下の話が印象に残った。「プリントはあちこちの映画館にたらい回しにされると、どんなに丁寧に扱われても少しずつダメージを受けるんです。だから『このプリントはかなり“仕事”してますね』なんて会話を映写技師さんとよく交わすんですよ」。こうして聞くと、フィルムには経年劣化がついて回るように思えるが、そうではない。オリジナルネガさえ現存していれば、上映用のプリントは何本でも焼ける(複製できる)からだ。それを言ったらデジタルデータの方が非劣化で無限にコピー可能では?と言いたくなるが、石田によれば「そうとも言い切れない」のだという。「デジタルデータはハードディスクに保存するか、LTO(Linear Tape-Open)という磁気テープ媒体に保存しておきますが、新しい規格が生まれ出てくるデジタルの世界では、データが将来的にちゃんと読めるかどうかは予想ができません。一方のフィルムは、映画の長い歴史のなかで数十年レベルの保存方法が確立されているという点で、デジタルに一歩リードしています」。■「時間を手に持てる」ということ知れば知るほどフィルムは奥が深い。濵野はフィルムの魅力として、“時間”を手に持つことができる媒体であることを挙げた。「この24コマに1秒分の絵と音が全部入っていて、それを手で持てる。この感覚は独特ですし、ほかにない魅力」。そう語る濵野の目は、心なしかうっとりしている。また、デジタルデータは制作時にモニタで表示されていたものを、そのままプロジェクタ経由で映写すればいいだけだが、フィルムは化学変化によって映像を物理メディアに焼き付ける必要がある。つまり「手作業」であり、どんな経験豊富な技術者であっても「やってみなければわからない」側面がついて回る。100パーセントはない。だからこそ、フィルム化作業は底なしに奥が深い。濵野はさらに、デジタルと違って撮影時も現像時も “すぐに見られない”フィルムの特性を指摘する。「いま撮ったものをすぐに確認することができないからこそ、演者もスタッフも演技に集中します。これって、作品作りにとってはとてもいいことだったんじゃないかと思うんです。現像も、してみないと仕上がりがわからない、完成が見えない。でも、それがおもしろい。いまのものづくりは、なににつけ“見えているものを繋げる”けれど、“見えないものを想像する”というのは、クリエイティブには重要なんじゃないかって」。さらに、フィルムは非常に専門性が高いものなので、それを扱うラボの技術者と作品を作る製作側の距離が近かった。濵野の言葉を借りれば、「お互いがいないと成り立たないという関係性」があったのだ。それもまた、クリエイティブに大きな影響を与えていただろう。フィルムは単に、“ノスタルジーを喚起するメディア”ではない。映画という芸術、ものづくりの真髄を概念レベルで閉じ込めた、“文化”そのものだ。松尾が冒頭で口にした“文化継承”は、決してオーバーな表現ではなかったのだ。■フィルムver.制作の本当の意義Makuakeでのプロジェクトは約1か月強で1064人の支援を集め、目標の1000万円を大幅に超える1747万5000円を達成した。『この世界の片隅に』がそうだったように、本編のエンドロールやパンフレットに名前が載るわけではない。にもかかわらずここまでの数字を達成した事実を、中山は大きく評価する。皆、作品に関わりたくて仕方ないのだ。なお松尾によれば、応援購入者はフィルムにあまり馴染みがない20代・30代が大半だった。本企画が年長者のノスタルジー頼みではなかったことは、ここでも証明されている。改めてプロジェクトの意義を振り返る。合理性という側面から考えれば、フィルム化は非常に不合理だ。確かに、デジタルとは違うものが見られる。しかし「現像してプリントを焼くコストはDCPの約10倍もかかるので、フィルムはいまや完全に嗜好品と言っていい」とは松尾の弁。なのに、なぜやるのか?中山はMakuakeのビジョンである「生まれるべきものが生まれ、広がるべきものが広がり、残るべきものが残る世界の実現」を前置きしつつ、こう力説した。「拡大一辺倒の資本主義下では、どうしても“儲かる”とジャッジメントされたものしか生まれません。その“儲かる”の度合いも、いまはえげつないくらい巨大な規模が求められますよね。でも、生殺与奪の権利が大規模資本のみに握られていると、画一的なものしか生まれません」。『ポンポさん』本編の終盤、追加撮影用の融資を渋る銀行経営陣たちの顔が浮かびはしないだろうか。中山は続ける。「でも、ニッチな欲望が認められる世の中って悪くない。それで言うと、『フィルムで観たい』だなんてニッチな欲望を持つ人が、たった1000人ちょっといれば実現できるんですよね。それってすごい可能性だし、歴史的意義だと思うんですよ」。経済合理性から外れたところにも確かなる意義があることを、『ポンポさん』は作品の中でも外でも力強く証明した。石田は、フィルム化の相談が松尾から舞い込んだ時のことを思い出す。「商業ベースとは違ったところで、ただただ興味と“やりたい”って思いだけで会話が進むんですよ。もう、本当に楽しかったです」。まだプロジェクトが継続していた8月のある日、筆者は松尾に聞いた。「なんでフィルム化なんですか?」。松尾は即答した。「おもしろそうだったから」。思えば、その一言にすべてが集約されていたのだ。取材・文/稲田 豊史
最終更新:MOVIE WALKER PRESS